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Column

やすゆうくんの音楽ルーツ -もうひとつのシュガー・ベイブ物語- vol.1

vol.26 もうひとつのシュガー・ベイブ物語 vol.1(2016.4.7)

1972年秋、長門芳郎氏ヨッシーさんが再び東京へ戻ってきたが、矢野さんのマネージメントの仕事は進まず、彼の収入のめどが立たず、途方にくれてた時手を差し伸べてくれたのは日野原幼紀さんだった。
日野原さんの親友が四ツ谷にロック喫茶店を作りたいのでスタッフにならないかと、後藤雅洋氏を紹介してくださった。
「いーぐる」というジャズ喫茶を経営されている方がロック喫茶店を開きたいという願ってもないお話で即決で決まった。新宿通にTBSからジョン・セバスチャンの大きな写真パネルを運んでライトアップして入り口に飾った。
四ツ谷ディスクチャートの誕生だ。
 
店内は木の壁でタンノイのスピーカーは非常に良い音で毎日素晴らしい音質で音楽が聴けるうえ、店のレコードのセレクションも完全お任せしますだって!
ある日後藤さんにわがままついでに店が閉店後セッションして良いかと恐る恐る尋ねたところ、寛大な後藤さんは快諾してくださってアンプ、マイク録音機材を運び込みリハーサルスタジオになった。
 
ボンビーなミュージシャン達にとってこんな理想的な環境を与えられるとは夢にも思っておりませんでした。店のプレイリストはヨッシーさんが担当。
閉店後徳ちゃんがギター抱えて車でやってきます。その頃四ツ谷に日野原さんの友人達でTBSの放送作家、コピーライター、音楽プロデューサーの方達が共同で借りていたマンションがあり、ワーナーのプロデューサー門間タカさんが売り出したいフォークデュオがいるので面倒見て欲しいと依頼があり、「三輪車」というグループ名で紹介されたのが大貫妙子ター坊でした。
僕らは彼女が好きになりセッションのグループに加えました。
セッションでは僕の曲とター坊の曲で徳ちゃんが編曲でバンマス。
ヨッシー、やすゆう22歳、徳ちゃん20歳、ター坊19歳。
こうしてあともう1人がもうじきやってきます。