小宮やすゆう オフィシャルサイト もうひとつのシュガー・ベイブ物語 vol.6 最終回

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Column

やすゆうくんの音楽ルーツ -もうひとつのシュガー・ベイブ物語- vol.6 最終回

vol.31 もうひとつのシュガー・ベイブ物語 vol.6 最終回(2016.4.13)

さて今回がディスクチャート関連のお話の最終回になります。
 
チャートで集まったみんなはそれぞれの道を歩み始めた。
Sugar BabeアルバムSongsは大瀧さんのもとナイアガラレーベル第一弾として1975年4月25日にエレックより発売。しかしこのアルバムは不運な道を辿ります。発売3ヶ月後エレックが倒産。洋楽レベルのレコーディングが仇となり音が割れている等のクレームが殺到。その頃笛吹童子という名でレコーディングエンジニアとして担当した大瀧詠一さんがアメリカ録音のように試行錯誤しながら録った音を日本では受け入れられなかったのであります。リスナーの耳がこのような音源に対してまだ慣れていなかった。 
 
一部のコアなファンを除けば非常に冷遇され東京を離れた地方のライブではSugar Babeの音楽性は聴衆からは軟弱だ、帰れなど罵倒されステージには物まで投げつけられたそうです。クマ君もこれには参ったようです。それでも負けん気の強いクマ君1976年3月末までSugar Babeを続けその後解散、ソロとなります。大瀧さんがいなければ多分音楽業界から足を洗ったことでしょう。
 
1980年Ride on TimeがTDKのカセットCMで起用され始めてクマ君は世間に認知されました。山下達郎として人気が高まると共にSugar Babeのアルバムは何回もリイシューされ再評価されたアルバムです。最近僕がライブをやると若い20代のリスナーの方がSugar Babeの話を質問されますが発売当時冷遇されたことを伝えるとみんな信じられないと言います。今では普通にポップスの王道のように楽しまれてるこのアルバムは時代の先端を切り過ぎた為の苦難がありました。
 
徳武弘文君 徳ちゃんはと言うとブレッドアンドバターの岩沢兄弟のバンドを経て少年探偵団、ラストショーと活動してギターセッションマンの名を上げて行きます。しかし1970年代僕らはみんなボンビーでいつもスカンピン。ミュージシャンが食えるようになったのは1980年以降であります。徳ちゃんにも先が見えなくなった1980年代半ば意を決してナッシュビルへ修行へ向かいます。背中を押したのは奥様でした。いい奥さんでよかったね。
ナッシュビルで徳ちゃんの技は尊敬の念を持って迎えられました。Gerry MacGee, Duane Eddyの大物に本物だと唸らせたのです。そして徳武弘文名義のソロアルバムHappy Daysでソロボーカルを採りました、Fathers。徳ちゃんの優しい人間性が滲み出た深みのあるいい声です。是非一度聴いてみてください。
 
野口明彦はクマ君に選手外通告を受けた後センチメンタル シティ ロマンスに迎えられ名古屋へ移籍。一軍復帰です。今は東京へ戻って来ましたがリズムの安定性は抜群です。笑の壺は今も変わりません。
ター坊は現在地方へ移り仕事の時東京へ。クールでマイペースな彼女は我が道を迷わず進んでいるようです。
 
最後に:僕らは音楽を始めた頃夢や希望でいっぱいでした。みんなそれぞれに今でも音楽が一番最高と思っている音楽馬鹿の集まりです。音楽の現状は今大きな変化の時代であの頃とは全然違う状況ですが水や太陽が僕らに必要と同じくこれからも一生追いかけて行くことでしょう。この選択に間違いは無かったなあ。
終わり
Sugar Babeの最高傑作 雨は手のひらにいっぱいを皆さんに
http://youtu.be/N99GcERLFfY
 
 
2015/4/25「四谷いーぐる」ディスクチャート・アゲイン

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