小宮やすゆう オフィシャルサイト やすゆう君の音楽ルーツ vol.10

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Column

やすゆうくんの音楽ルーツ

vol.10 1967年1月17日付デイリーミラー紙の記事で...(2015.12.27)

1967年1月17日付デイリーミラー紙の記事でランカシャー州ブラックバーン市の道路には4000の路面の窪みがあると発表、また同誌にギネスの後継人タラ ブラウン氏の交通事故による死亡の記事を掲載。
もうお判りですね。A day in the Lifeの冒頭のシーンです。
 
この年は大型野外ロックフェスの最初の一歩のモンタレーポップフェスティバルが開催された年、仕掛け人はジョンフィリップスとダンヒルレコードのプロデューサーのルーアドラー。このフェスの宣伝ように書かれた曲がスコット マッケンジーのSan Francisco,wear a flower in your head.アニマルズのエリック バードンもSan Francisco Nights, フラワー ポットメンはLet's go to San Franciscoを発表。合言葉は Turn on,Tune in,Drop out!
サイケデリックミュージックの登場であります。
 
ベトナム戦争が泥沼に入り各地でデモ隊と警察の衝突が相次ぐ中 ヒッピー文化は徒花の如く咲き誇り音楽と意識革命が叫ばれ始めました。ヘイトアシュベリーはヒッピーの聖地となり全米の若者達が集まり始めました。ディガーズと呼ばれる人達はフリーミールを提供。そのカリスマはジェリー ガルシア率いるデッドヘッドとジェファーソンエアプレーン。音楽好きの若者はサンフランシスコに憧れました。モンタレーフェスティバルではジャニス、オティスレディング、トリを務めたのはジミヘン。ジミヘンはステージ最後にギターに火を放ちます。既成の価値観にノーを突きつけたのでありました。
 
この年にはいわゆるソフトロックと呼ばれる爽やかなコーラスが大流行。Parade,Sunshine Company,Spanky andOurGang,Association,Buckinghams,Left Bankなどなど盛りだくさん。Monkeysのtv放送の開始。All you need is loveの世界同時中継もこの年。ドアーズ、ラスカルズもこの年です。
さて長崎のやすゆう君のバンドではヨッシーさんが声を張り上げハッピートゥゲザーを歌っておりました。FENが最高に輝いておりました。深夜遠い彼方から電波が届いてWhite Rabitがかかるとやすゆう君もドラッグ抜きでトリップ。クリームとジミヘンの2枚で違う世界に連れ去られておったんですなあ、べんきょうもせんで!続くよー