長門芳郎インタビュー 2015年4月1日


イラスト:桑原節
高校時代のバンドのことから、ジョン・セバスチャン来日、シュガー・ベイブ、はっぴいえんどのコンサート開催秘話などたいへん興味深い貴重なお話を伺いました。
(聞き手)大場章弘(2015年3月25日)
※アルバム6曲目「 ヨッシーさんの玉手箱」は長門さんのことを歌った曲です。
写真提供 / 長門芳郎
Interview



小宮がベース、僕がヴォーカル、タンブリン&マネージャー(笑)。
ギターとドラムも中学時代の同級生でしたが、後に僕の高校の級友、西口(ギター)と米沢(キーボード)が加わります。曲は「テル・ミー」、「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」、「ティル・ジ・エンド・オブ・ザ・デイ」、「いとしのルネ」、「ルイ・ルイ」、「ユーヴ・リアリー・ゴット・ア・ホールド・オン・ミー」、「今日を生きよう」、「キックス」ほか。

西口純一「くじらの唄」
長崎大学の学祭や遊園地で演奏したり、ヤマハのライト・ミュージック・コンテストに出たこともありました。
THE OTHERのギタリストで SOON!のメンバーだった西口は1972年にワーナーからシングル「くじらの唄」でデビュー。この曲のアレンジは 矢野誠さんでした。



「SOON!」というのはラヴィン・スプーンフルのジョー・バトラーが出演したロック・ミュージカルのタイトルから名付けたものです。
創刊0号発行は1971年6月。当時高校生だった長崎の後輩や女子高生たちも手伝いたいと言ってくれて参加するようになり、一時期は30人近いメンバーがいましたね。長崎と東京で交互に編集し、ガリ版で作った「SOON!」はロック喫茶、ジャズ喫茶に置いてもらったり。
ある時、小宮たちと 『ウッドストック・フェス』の記録映画を観に行って、こんな野外コンサートやってみたいねという話で盛り上がって、71年の夏に長崎の稲佐山頂上にあった野外音楽堂でフリー・ロック・コンサートを開いたんです。

大震祭1971/8/21
この時は小宮はもちろん、アレンジャー、ピアニストの矢野誠さんのバンドも演奏。
以降、何度かSOON!主催のコンサートを開き、
その中に "シュガーベイブ"や "はっぴいえんど"、 "吉田美奈子"、
"矢野誠"、"布谷文夫"など、東京から招いたミュージシャンもいたわけです。
2007年には、SOON!のオリジナル・メンバーとその家族たち30数名が横浜のライヴ・ハウスに集まり、記念イベントを開きました。
『64』に収められた曲には、SOON!の仲間たちのニックネームやエピソードがたくさん登場します。

ジョン・セバスチャン&小宮&長門夫妻


小宮のオリジナルに「コーヒー・ブルースをもう一度」というのもあって、1977年にジョン・セバスチャンが来日した際、小宮がジョン本人にその曲のカセットを渡したんです。その2年後にウッドストックのジョンの家に遊びに行ったんですが居間のレコード棚に小宮のカセットがちゃんと並べてあったのを見た時は感激しました。
ラヴィン・スプーンフル

ラヴィン・スプーンフル


BGMがCSNやジェイムズ・テイラーだったり、好きなレコードかかってたので、毎日通うようになり、店主夫婦と仲良くなったんです。でも開店時間過ぎても店が開いてないことも度々で、僕はふたりが住んでいた2階の窓ガラスに下から小石を投げて、起こしたり(笑)その後、僕は東京に戻って、小宮の誘いで四谷にオープンしたばかりのロック喫茶ディスクチャートで働くようになります。相変わらず貧乏だったので、長崎のMOGやSOON!の仲間から食料の差し入れが届いたりした時は涙出るほど嬉しかったですね。

スティーヴン・スティルス好きなMOGのマスター岩永光平さん
72年夏にシュガーベイブのコンサートやるために山下君とター坊と3人で東京から長崎まで車で行った時も、真っ先にMOGに連れて行きました。当時から小宮の才能を買っていた店主の岩永光平さん、
きっと今頃は自分のために作られた 「うららかワルツ」を聴いて、天国で喜んでいることでしょう。


小宮作の「それでいいさ」、「想い」、「港の灯り」の内、 「想い」は 『SONGS』30周年記念盤にライヴ・ヴァージョンが収録されています。僅かですが、たまに僕にも作詩印税が入ってきます(笑)


長門さんと小宮さん。1972年、杉並の善福寺公園にて
長門芳郎プロフィール

1950年生れ 長崎市出身。(株)ビリーヴ・イン・マジック代表
音楽プロデューサー、音楽雑文家。
70年代初期から後期にかけ、シュガー・ベイブ(山下達郎/大貫妙子ほか)、ティン・パン・アレー(細野晴臣/鈴木茂/林立夫)のマネージャーとして、コンサート/レコード制作に携わる。
70年代末~80年代末には、南青山の輸入レコード店パイド・パイパー・ハウスの店長/オーナーを続けながら、ピチカート・ファイヴのマネージメント、海外アーティストのコンサートをプロデュース。ヴァン・ダイク・パークス、ドクター・ジョン、リチャード・トンプソン、フィービ・スノウ、ダン・ヒックス、ジョン・サイモン、ローラ・ニーロ、ピーター・ゴールウェイ、NRBQ、ハース・マルティネス、MFQ、ロジャー・ティリソンほか多数の来日ツアーを手がける。
80年代末にヴィレッジ・グリーン・レーベル(ポニーキャニオン)をスタートさせ、海外アーティストのレコード制作に携わる。98年からは、ドリームズヴィル・レーベルのレーベル・プロデューサーとして、数多くのアルバム制作を行なっている。
以上の仕事の傍ら、70年代から現在まで、数多くの洋楽アルバム/CDのリイシュー企画監修、アート・ディレクションを行い、その総数は1500タイトル以上。
現在、音楽番組「ようこそ夢街名曲堂へ!」(K-MIX)にレギュラー出演中。 著書に「魔法のBEAT」(MF WORKS)がある。
レコード・コレクターズ誌に「長門芳郎のマジカル・コネクション」連載中。
●FM音楽番組「ようこそ夢街名曲堂へ!」公式BLOG
http://d.hatena.ne.jp/yumemachi/

1960年生れ 長崎市出身 愛知県西尾市在住
DAY OFFICE代表 ウェブ担当 『64』共同プロデュース。ギター、ヴォーカル、コーラスで参加。
※タートルスワンプレコードは『64』をリリースするために立ち上げたインディペンデントレーベルです。